【思考遊戯】の醍醐味は、自ら問いを立てるところにあります。
[誰に][何を][どう]問いかけるか、独自の問題提起から始めなければ、面白さや楽しさは半減します。
と言って、「存在とは何か?」「幸福とは何か?」、といった、昨今流行りの哲学的手法による問いかけは、遊戯になじみません。
アチョー!
たとえば、『死神』という落語があります。もう死ぬしかない、と思っている男の前に現れた死神が、重篤の患者の生死の見分け方と、生きる可能性のある患者を快癒させる呪文を伝授します。おかげで、男は高名な医者になりましたが、死神の言いつけを破って死に瀕した患者の命を救ったがために、自らの命を縮めてしまうという噺です。
この噺から、死神に、
「なぜ、その男を生かそうとしたのか?」
と問うと、果たして、どんな答が返ってくるでしょうか?
あるいは、他に、死神に、何を問うことができるでしょうか?
アチョー!
こんな話はどうでしょう?
寝たきりのバァさんが、
「そろそろお迎えが来るようだ」
と言い始めて三日目の夜だった。
バァさんに寝返りを打たせてやろうとしたジィさんの傍に、妙な影がうずくまっている。
目を凝らしてよく見ようとすると、
「死神だよ」
と、それが言葉を発したとたん、闇の中にその姿が浮かび上がった。
ジィさんは、恐怖も不思議も覚えないまま、
「ああ、お迎えか」
そう口にすると、
「一つだけ、わしに問え。問いによっては、命を長らえてやろう」
と、それは薄く笑ったようだった。
「面白いことを言うな。どうせなら、バァさんを一人で歩けるようにしてもらえると、ありがたい」
「願いではない。問いだ」
「ああ、そうだな……」
ジィさんはバァさんに寝返りを打たせながら、しばらく思案して、
「バァさんは、極楽に行けるんだろうな?」
「悪くない問いだ」
死神がそう言った刹那、しかし、ジィさんの心の臓は止まった。
最期にジィさんの耳に聞こえたのは、バァさんの安らかな寝息だった。
この物語から、誰に何を問うことができるでしょうか?
アチョー!
さて、どんな物語から、[誰に][何を]問いますか?