第6回 対話によって字数稼ぎは解明できるのか?

 対話は、思考の方法として古今東西、用いられています。

 ソクラテスをはじめ哲学は、対話によって展開されています。

 論語では、弟子の問いに「子曰く」と答える形でその考えを示しています。

 禅宗で交わされる禅問答は、まさに実践的な対話です。

 では、弟子が師に問う対話を遊戯として使うと、どんな事態が発生するのでしょうか?

 

「先生! 作文の課題が出ると、みんな字数稼ぎに走るのは、どうしてですか?」

「それは、その、何だ。与えらえた課題について字数を満たすほど書けないからだろう」

「だから、同じことを繰り返し書いたり、課題とは関係のない一方的な話を書き並べたりして、字数を稼ごうとしているんですね」

「そうだ」

「でも、そうやって指定された字数を満たしたとしても、内容の充実した文章が書けたことにはならないのではありませんか?」

「まあ、そうだろうな」

「でうよね。だったら、字数稼ぎの末に何とか指定字数を満たした文章と字数を満たしてはいないけれど内容の充実した文章とでは、どちらが高い評価をえらっるのでしょうか?」

「指定字数を満たしていることが課題の条件だから、字数不足の文章に合格点が与えられることはない。少なくとも、大幅に減点される」

「つまり、内容の良し悪しによって評価されないから、みんな安易に字数稼ぎに走るんですね?」

「ん……、まあ、そういうことになるかな」

「だとしたら、字数を指定しなければ、評価は逆転しますよね?」

「そうはいっても、実際、どんな課題でも、特に小論文入試では、必ず字数が指定されているし、字数を満たしてなお、読み応えのある文章を書く者もいるだろ?」

「そうです。そういう人もいます。でも、そういう人のように、字数稼ぎに走らずに内容の充実した文章を書くためには、どうすればいいんですか?」

「そりゃあ、読書だろ。たくさん本を読んで知識と考え方を蓄えるんだ」

「つまり、文章力は、個人の読書量に左右される、ということですか?」

「まあ、読書量だけではないけどね」

「なら、読書以外で文章力が身につく方法を教えてください」

「授業でやってるだろう。原稿用紙の使い方とか、文末表現を統一するとか」

「そんな形式的なことなら、小学校からさんざんやってきています。ほかに、何かありますか?」

「新聞やニュースから環境問題なんか取り上げて書く練習もしているだろ?」

「それでも書けない、字数稼ぎに走ってしまう僕たちは、どうしたらいいんですか?」

「これ以上どうしたらいいかと言われても困るな」

「どうしてですか?」

「実は先生も学校で習ったことがないんだ……」

「え?」

「ということで、今日はこれぐらいにしておこう!」

 

  アチョー!

 

 さて、字数を指定することなく、弟子たちの文章作成能力の向上を図るには、どうすればいいのでしょうか?