問いや問いの答となる選択肢をいくつひねり出せるか?
これが、【思考遊戯】をさらに面白くします。
たとえば、帰宅した子どもに、
「ジュースある?」
と言われたときに、どう応じることができるでしょうか?
また、その応じ方は、いくつあるでしょうか?
あるとき~!
・「ある」と言って冷蔵庫からジュースを出してコップに注ぎ、子どもの前に置く。
・「冷蔵庫にあるから飲みなさい」と答える。
・「宿題をすませてからね」と、あることを前提に飲むための条件を出す。
・(子どもがジュースを飲みたがっていることを察しながら)「ある」とだけ言う。
ないとき~!
・「ないから、麦茶でも飲んで」と代替案を提示する。
・「ないから買ってきて飲みなさい」と命じる。
・「ないから、今から一緒に買いに行こう」と誘う。
・「ビール、飲む? 冗談!」とジョークでごまかす。
・(子どもがジュースを飲みたがっていることを察しながら)「ない」とだけ言う。
・(あってもなくても)「テスト、どうだった?」と自分の関心事を問う。
・(あってもなくても)「飲みすぎはよくない」と説教する。
・(あってもなくても)「トイレの掃除をしなさい」と関係のない用事を言いつける。
・(あってもなくても)無視する。
・リンゴとナイフを手渡して、ミキサーを指さす。
アチョー!
いいか悪いかを問わなければ、その他、いろんな応じ方が考えられます。
「そんなにたくさん思いつかない」という方は、習慣にとらわれているのかもしれません。
もし、企画を仕事としている人なら、すぐにいくつもの応じ方を考え付くでしょう。
たとえば、広告を作成するために、依頼主に100の質問に答えてもらうという広告会社があるそうです。
自己啓発の分野では、人生でかなえたい夢をいくつも書き出す、という手法が用いられています。大きな夢とか小さな夢とか、かなえられそうにない夢だとか、こだわることなく、とにかく書きます。
あっちのけんとさんの『死ぬな!』(作詞作曲・あっちのけんと)という歌には、「願い事を三つ考えろ」というフレーズがあります。自ら命を絶とうとする人の、その思いをとどまらせる方法を示唆する言葉です。
では、私には、どんな願い事があるのでしょうか?
子どもだったころに、願い事はいくつあったでしょうか?
書き出してみると、三つどころか、10以上、いえ100以上出てくるかもしれません。
そうすると、さまざまな思いが交錯して、狭められていた思考の幅が広がる可能性も考えられます。習慣や常識にとらわれていた思考の枠が外すことができるかもしれません。
アチョー!
さて、私は、何について、いくつ問うことが、また、何通りの答をひねり出すことがことができるでしょうか?